molly_fdqのブログ

韓国のボーカル・グループ、フォルテ・ディ・クアトロのファンです。日本でも見れる動画のリンクや記事訳などのデータベースにしたいと思ってます。古いのから最近のまで気ままにアップします。最新の情報などはTwitterとInstagramにあげてます。訳は拙いですが、ないよりはましという方にご覧いただければと思います。

【ヒョンス】<出演>ヒーリングトーク回復(2017.03.18放送)

Cチャンネル「ヒーリングトーク回復」第319回(2017.03.18放送)

 

※ケーブルテレビのクリスチャン向けのチャンネルの番組なので、宗教的なお話が含まれています。

youtu.be

<魂を慰めるテナー キム・ヒョンス>

(内容要約)

・(優勝後の近況について)忙しくはあるが、愛されているなとSNSなどで感じながら過ごしている。

・優勝は運だと思うし、私たちはみんなが優勝者だと言い合っているが、みんなからはそれでも1位は違うと言われる(笑)

・(才能か努力かと聞かれて)持って生まれたものが多いと思うが、その分努力もした。子供の時は女の子の声だと言われていたけれど、高校3年生に変声期が来て当惑した。

・声楽をパワフルにやるよりソフトに歌った時に大衆の拍手に手ごたえを感じた。留学を放棄して声楽の大衆化に身を投じようと思い3年間ほど一生懸命努力した。いいタイミングに「ファントム・シンガー」が行われた。

・フォルテ・ディ・クアトロのメンバーとも、「ファントム・シンガー」の出演者とも一度もぶつかったり喧嘩したことがない。(フォルテ・ディ・クアトロのメンバーは)みんないい音楽をお聞かせしたいという思いがあるから、その妨げになる利己主義は捨てている。

・「ファントム・シンガー」の予告や1話に一瞬も映らず、1話にはかっこいい人ばかり出ていたから拗ねてスタッフにちょっと僕もテレビに出して欲しいと言った。

・「家に」を歌う時、小学生の時に外でサッカーやバスケをするのが好きで時間を忘れて遊んでいるとお母さんが公園に向かって「ヒョンス~」と呼びかけて、もっと遊びたいけど家に帰ったらおいしいキムチチゲが待っていると思って帰ったことを思い返しながら歌った。

・(化学調味料のCMの風景みたいと言われて)お母さんは化学調味料は使わない。

・(脱落危機に舞台裏で祈ったのではないかという質問に)「家に」を歌った時、メンバーに神学専攻者がいて舞台に出る直前にみんなで祈った。みんな切実な思いだったと思う。

・脱落危機が多くて優勝するとは思わなかった。優勝をしなかったとしても、ここまで来たことだけでもとても幸せで挫折を感じたりはしなかったと思う。

キリスト教は親の影響で信じたわけではなく、後から信じるようになったが、ずっと縁があった。小さい頃、隣の家のお兄さんに教会に連れて行かれて、教会の方たちが讃美歌を歌うのを真似したりしていた。高校生の時に教会に通っている先輩が聖歌隊に誘ってきた。朝起きられなくて続かなかったが大学に入ったら専攻に直結しているためあちこちから聖歌隊に誘われた。

・(神様が)明らかに自分にはできないことをかなえて下さった。周りの友達の困難についてたくさん祈ったが、今は全員解決している。自分の事より他の人のことを祈って来たが、そうしておのずと感謝の気持ちを感じさせてもらった。

・ゴスペルスターシーズン5でも優勝。歌で競う事の意味が分からず今まで出たオーディションはそれと「ファントム・シンガー」だけ。讃美歌を歌うのが好きで、癒しを受けるし、大衆音楽にはないCCMならではの旋律が好きだった。CCMを歌っている人たちの演奏会を見るといい表情をしていて魅了された。自分が得意な分野を探していたらCCMがよいと思い、勇気を出して出てみた。

・「ゴスペルスター」の予選は合宿しながら行われるが、もともと持って行くものをメモしてしっかり準備するタイプなのに、タオルを忘れてしまいスタッフに借りた。2泊3日1枚のタオルで過ごして早く家に帰りたかった。

・中学の時はサッカーやバスケに夢中で遊び回って勉強はあまりしなかったし苦手だった。高校1年生の時の先生が音楽の先生で1年生の後半に声楽を勧められた。その時から勉強しなきゃと思った。

・受験の時はよく分かっていなかった。ソウル大学の合格発表の時は慶熙大学が受かっている状態で、サムギョプサルのお店で生まれて初めてのバイトをしていた。担任と父から合否を確認するように電話が来たが、午前3時にバイトが終わったら確認しようと思っていたからそう言ったら叱られ、先輩に確認してもらったら合格していて大騒ぎに。学校の行事に一度も来たことのなかった父がバイト先に迎えに来た。胸がいっぱいで息子に早く会いたかったようだ。

・大学はテノールでは一番いい成績で入学して先輩たちにも褒められて、天狗になって遊んでいて気づいたら発声や声がおかしく、高音も出なくなっていた。才能と努力を兼ねた後輩たちが入ってきてコンクールを席巻した。自分が嫌になって、その時は泣きながら出ない音を研究して、朝起きてのどの調子が悪かったら一日中過敏になって人としゃべらずに隠れていた。いつか解決してまた楽しくなるだろうという肯定的な考えで克服してきた。

・大学生の時に宣教団に入って地方に通って牧師様の色んなお話を聞いた。4年間(軍隊を除くと3年)教わったことを今は実践する段階だから、信仰について苦境に出会う段階ではないと思う。 

・(ご両親が教会に通っているものだと思ったけれど、そうじゃないと聞いて意外だった、最近信仰に心を開き始めたそうだが、と言われ)自分が教会にとても熱心に通った。大学院の1年は奨学金をもらい、1年は自分で払わなければいけなかった。除隊後に1学期500万ウォン稼ぐのは大変だから、早朝に教会の礼拝で歌うアルバイトがあって江東から弘益大学前まで一生懸命通った。息子が一生懸命になっていて、ゴスペルスターでよい結果を出したのを見て気持ちが動いたのだと思う。金銭的なことよりもこういったことが親孝行だと思う。

・(ベルトラウムについて聞かれ)ラウムアートセンターに事業者として音楽部門として登録されている。登録せざるをえなかったためにしたもので、代表と書かれているが大それたものではない。どんなにうまくて有名な声楽家がいても、お金を払って聞きにいかなければならないけれど、そういう文化が難しい。(高すぎるというMCの声に、安いものもあると反論。)クラシック音楽が、声楽家も継続的にアルバムを出してクラシックチャートが常に変動する必要があると思う。声楽的発声で歌って愛されるように。そういうビジョンでチームを作りたくて作った。「コリアンガットタレント」のファイナリスト、世界のコンクール2,3個に出た人など優れた声楽家たちが集まってチームを作り、事業として一生懸命やった。幸い、仕事を探さなくても先にオファーをしてくださった。メンバーたちは自分がゴスペルスターで優勝した時、本当に良かったと涙を流しながら喜んでくれた。

・讃美歌で宣教をするなど大それたことは考えていない。讃美歌をたくさんの方に聞いて欲しい。それが宣教という意味合いもあるかもしれないが、その後のことは聞いてくださった方がご自分ですることだと思う。