molly_fdqのブログ

韓国のボーカル・グループ、フォルテ・ディ・クアトロのファンです。日本でも見れる動画のリンクや記事訳などのデータベースにしたいと思ってます。古いのから最近のまで気ままにアップします。最新の情報などはTwitterとInstagramにあげてます。訳は拙いですが、ないよりはましという方にご覧いただければと思います。

【テジン】Theater Plus 3月号 インタビュー訳

naver.me

 

もしかしたら運命

- ソン・テジン

他人に認められる前に自分に対して自信を持つことは、至極難しいことだ。バス・パートのソン・テジンもそうだった。自分の声に定見がなかった。人は大抵、天井を突き抜けそうな高音と派手な技巧を耳にして喝采と歓声を送るものだから。「私たちのチームが優勝したのは、いまだ夢のようなことですが、個人的にハーモニーの最も底辺の声を認めていただいて感謝しています。低音の魅力と感動に賛同してくださったおかげで、自分の声に確信が生まれました。」さらに、過去3年間のフォルテ・ディ・クアトロの旺盛な活動は、声への確信を「成熟」へと磨きあげていた。合間に自分の声を「著作権化」する作業も怠らない。「『舞台が師だ』という言葉を理解できるようになりました。舞台恐怖症がひどくて、心理的な状態に応じて体と喉に異なる反応が出ていましたが、今では起伏もひどくありません。何より歌やダンス、トークのような余裕や経験はともかく、根本的に逃してはいけないものについてより深く考えるようになりました。真正性なく歌えばすぐに露呈するということを悟ったというか。家庭を築いて子供を育てるまでは親の心情が分からないように、舞台に上がってみると、音楽ができるということへの感謝が増幅されるのを感じます。だからより慎重になりますし。」

だからだろうか。公演のために全国を何度も回ったにも関わらず、最も記憶に残る舞台に彼は「ファントムシンガー」の1次決勝戦を挙げた。フォルテ・ディ・クアトロが初めて作られ、500人の観客の前に立ったあの緊張してときめいたステージ。「私の声を聞きたいと駆けつけた人達を満足させたときの目つきと幸せに満ちた表情が忘れられません。観客は私達を通して喜びを得て、私は孤軍奮闘した時間をいっぺんに取り戻す感じ...まさに衝撃でした。」

 

この地の多くの声楽家が教会の聖歌隊出身であるように、声もよく音程もよかったソン・テジンも教会で歌を歌った。音楽はいつも彼の側にあったが、音感を持っていること自体がどれほど大きな才能か知らずに思春期を過ごした。そうするうちに、大学入試を前に声楽を始めることになった。クラシック音楽はいわゆる天才だけがやるものだと思っていたが、歌曲もほとんど知らない状態で短い時間になんとか準備して声楽科に入った。「クラシック音楽に夢中になりつつも、どこか虚しさがありました。ずっと前に誰かによって作曲されて詞がつけられた曲を今自分がここで歌っているということ、音符ひとつ休符ひとつ、ぞんざいにやりすごさずに他人の音楽を自分の声で歌うという事実が、何というか物足りなく思えました。そうしているうちに軍隊に行ってあれこれ歌うことになりました。ある日、『チェさんちの3番目の娘』を歌ったんですが思いがけずとても良いフィードバックが返ってきたんです。難しくもなく、声楽ならではの力とエネルギーが生かされているから。クラシックを易しく解釈した時に人と共感を形成できるという充足感に喜びを感じました。」

 

ここまで来たら「ファントムシンガー」はソン・テジンにとって運命で、必然だったのかもしれない。歌っていることだけで幸せなのに、声楽は決して難解なものではないということを国民に絶えず証明しているのだから。彼はフォルテ・ディ・クアルトが結成以来、一度も声を荒げることや意見の不一致がなかったのも、4人ともただただ感謝し、切実だったからだと言う。「公演、レコーディング、練習を繰り返して夢中で駆け抜けた3年ですが、私たちはいつも話しています。ぱっと目立つのではなく長くやろうと。音楽をやる人は結局は孤独でしかないといっても、聞いてくれる人がいなければ、もっと孤独じゃないですか。今、プレッシャーも生まれて言葉も行動も慎重になりますが、私たちの声に耳を傾けてくれるファンの皆さんのために良い音楽で報いたいです。おそらく私は『ファントムシンガー1』で落ちていたら2、3に続けて出たでしょう。奇しくも今日が『ファントムシンガー3』の初回の収録日なんですが、今、私がここにいなかったとしたら、おそらく収録会場でものすごく震えていたんじゃないでしょうか(笑)これからも初代優勝チームという自負心と責任感で最後まで初心を忘れません。」 editorイ・ミンジョン